2013-02-18

第47回教職神学セミナー「説教」 ー今を生きる人の心に届く説教ー

牧師の継続教育プログラムであるこのセミナーも、今年で47年目を迎えた。おそらくルーテル世界連盟の支援を受けて行われるようになった80年代にルーテル四教団の牧師を対象に開催されるようになったのだと思うが、回を重ねてよい交わりの企画ともなっている。
今年のセミナーは「説教」を学ぶシリーズの第三回目。シリーズを通じて指導をお願いした平野克己牧師(日本基督教団代田教会)を今年もお招きし、特に「今を生きる人の心に届く説教」をテーマに三泊四日のプログラムが行われた。
江藤直純校長より基調講演をいただいたが、改めて、ティリッヒの重要性、またルター派としての説教という視点も確認したいと考えさせられた。それに先立って、平野先生からいただいた課題として、今注目のアメリカの説教者、バーバラ・ブラウン・テイラーの説教「いのちをかけて」(マタイ16:21−27)を取り上げて、各自の分析に基づいたフリーのディスカッションを行った。この説教は近日平野氏の翻訳で出版される予定だが、説教の技術・手法そのものが、そのメッセージ内容を効果的に聞き手に届けるものとなることについて、考えさせられた。説教は、確かに伝えるべき内容が重要だと言ってよいのだが、聞き手に対する神の働きかけとならなければ、どれほど立派な内容でも意味をなさないだろう。逆に、イエス様の語るたったひとつの「わたしに従ってきなさい」という語りかけが、その人の人生を変える出来事になる。その意味で、語りかける技術、手法そのものが福音を福音たらしめるものとして働くことを考えさせられた。
二日目、平野氏の説教論を伺いたいということで「空間を造り出す説教」と題して70分の講演をいただいた。説教が一つの世界、空間を現出させて聞き手を包み込み、聞き手に作用する。そうした空間としての説教論を伺うことができたことも大変豊かな学びとなった。これは、ことばによる神の救いの働きとしての説教が、むしろ非言語的なものをも含んでいかに豊に神と人との新しい出逢い、関係を創造するものでありうるかということを深く考えさせるものであった。説教の礼拝論的アプローチとも言えるような興味深い発題をいただいた。聖なる空間が神の働きとして私を包み込んで行く。耳や頭の出来事ではなく私という存在が丸ごと神の御手に包まれるような出来事として礼拝が起こり、説教はその中に機能しているものと、新たな視野が開かれた。
三日目には大串肇氏による「旧約と説教」を、四日目には徳善義和氏による「ルターとことば」、北尾一郎氏「わたしの説教論ーたいせつにしてきたこと」を伺い、それぞれ深い学びを与えられた。
昨年より若干少ない参加者で少し残念な気持ちもしたが、それだけ牧師たちが現場を離れにくい状況であるということだろう。今後のセミナーのあり方にも一考が求められると感じている。私自身も途中抜けざるを得なくてそれぞれの牧師たちの説教への格闘について十分共有できなかったことが悔やまれる。けれども、本当に豊かにされた四日間のセミナーだった。



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